鎌倉時代から伝わるとされる伝統行事。当時の領主・小笠原長清が、戦勝の感謝と戦死した兵士の慰霊のため、同所の長石寺に木馬を奉納したのが始まりとされる。
参加者約百二十人は、神馬や米俵、だるまなどを模した七基のみこしを担いで長石寺を出発。時又港に到着すると、「厄よけの儀」を行い、本厄の十九人が天竜川の冷水を浴びて厄を落とした。
その後、祭りはいよいよクライマックス。さらし一枚の男衆はみこしを担ぎ、次々と水温約七度の天竜川へ突入。冷たい風が吹きつける中、胸までつかると、「わっしょい」の代わりに「オンスイ、オンスイ」。駆け付けた大勢の見物客は、威勢の良い掛け声と荒々しく立つ水しぶきの様子にくぎ付けになっていた。
このほか、女みこしや子どもみこし、和太鼓演奏などもあった。 (牧野良実)
http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20170314/CK2017031402000029.html
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鎌倉時代から続いているとはすごいですね。なぜ途切れることがなかったのか不思議です。
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